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『箱-Boxes-2008』
稽古場日誌

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5月8日(木) 茂木夏子
今日はまずはじめに箱の上で足のスイングをして軸足チェック。
続いて足踏みウォークをして質量チェック。
軸足に乗せて大事に大事に重心を移動させてまで、私たちは一体何を運んでいるの?

ふと黒板を見ると、

リズムとは、律動。
テンポとは、速度。

音楽に合わせて歩くのか、歩く身体に音楽がついてくるのか。
――律動と速度を運んでいる意識で歩いてみたら?

そして今日はもうひとつ、
――みぞおちを口から引きずり出すつもりで!!!

そんなつもりで歩いてみたら、身体は変わるのでしょうか?
調子にのって口からがんがん内臓垂れ流しで歩き続けていたら、不思議なことが起こりました。

今までは人の軌道や列の軌跡に対して「脱/入」していた列の意識でしたが、内臓を垂れ流してぼとぼといろいろなものを落として歩くことで、自分の軌道や軌跡がしつこく見えてきたのです。ちょっと、気持ちが悪い。

自分の残像なんて見たくないので気持ちは悪いんですが、その分、今日の列では、いろいろな思い出の場所ができてしまいました。
あの人を押し出した現場、あの人に押し出された現場、あの人とすれ違った現場・・

こういうことを、シーンの稽古とつなげればいいのかな。と、「門」のシーンを返した稽古中ではなく、稽古後にみんなで10年前の「箱」のビデオを観た時に思いました。

全部は認識できず絶対に見逃してしまうんですけど、現場はたくさん、生まれ続けているようです。

5月7日(水) 真篠剛

今日は「穴」から「門」の稽古。
ひとりひとり「門」のシーンの発表会をやりました。

1人約10分間、4つの門をくぐり続けます。一人発表会です。

観ていての感想。
もっともっと、それぞれ「門」に関わる「声」や「言葉」を聞きたかったです。

10分間1人で時間を作るのって、けっこう大変で、自分一人のコンセプト、時間感覚のみで10分乗り切るのは相当難しいと思いました。

実際、一人パフォーマンスなのですが、その中に列やら「門」をくぐっている人々のイメージが浮かび上がってきたら、きっと全員で「門」のシーンをやったときに何十、何百の人々のイメージが浮かび上がってくるんだろうなぁ、なんてことを思いながら観ていました。

よく演出が稽古場で「自分を語るな、他人を語れ」と言うのですが、自分一人のコンセプト、時間感覚のみ「門」世界を生きるのと、 他人のコンセプト、時間感覚で「門」世界を生きてみるのでは、きっと見え方も身体の感覚も全然違ってくるのだと思います。

稽古後、事務所で飲みながら「壁=言葉である」という話になりました。
「壁」のシーンは今日はやりませんでしたが、今日の「門」も含め、本番まで「言葉」探しの旅に出たいと思います。

「自分探し」の旅にならないように気をつけます(笑)

5月2日(金) 打田智春

今日は雨がちょこちょこ降っていたせいか、動くととても蒸し暑い。

 いつもの稽古では自分のことばかりを考えてやると、みんなとぶつかったりうまく関係がとれなかったりする。
ナルシストにならない。
でも今日の稽古【門】ではナルシストになっていい、やりたいことをやればいい、と。
どうしたらいいのかわからなくて躊躇してしまった。

周りの様子をうかがう…
箱の門があって、曲があって…
同じ門に向かっていても、同じ曲を聴いていても、それぞれ受けてるものが違うのだな、と、いろいろな門との関係がみえて、そう思った。
て、周りを見てる場合ではなくて、自分ならどうする?どうこの門と関わるのか。
難しい…
衣装あわせの時の鏡に夢中になってた時のように、自分のやることに夢中に
なれれば。
なぜか変に恥ずかしさがあったりして、これがとても邪魔。ふっきれー
うぅん…と、頭で考えてるだけだと頭でっかちになってしまう。
なんでもやってみて、それで門との関わりを面白いものにできたらいいな。

 そして〜
稽古後、焼き肉パーティー!!
みんなケガなく本番を迎えられますようにと。
制作のN氏が素敵な料理を用意してくれて、みんなお腹が空いていたからバクバク食べた。
特にH君(笑)。気持ちのよい食べっぷりだった。
汗をかいた後のビールとおいしいごちそうは最高でした。
おなかいっぱい…ぷぅ…
ありがとうございました〜

 

5月1日(木) 茂木夏子

5月です。
暖かくなってきて、稽古場の汗の量も増えてきて、エアコン付けはじめました。

昨日は真篠さんの解体屋アルバイト話でしたが、今日は私のコンビニアルバイト話。
あろうことか私はとにかくモノを持つことが苦手。
学生の頃のコンビニバイトで牛乳やらキムチやら手からすべらせ (なぜかいつも臭いのキツイものばかり手からすべる)、 散々いろいろなものを落として床に撒き散らして、さくっとクビになりました。

そんな私の暗い過去を引用しながらダラダラと箱の稽古をしていたら、 すっかり箱が運べない身体となっていました。

ええと。確か、この芝居は、「箱を運ぶ芝居」だったはずでは?

今日はみっちりと、箱を運びました。とにかく、箱を運んで、壁を作る。
箱で壁を作って、壊して、別の場所へ運んで、また作って、壊して、また別の場所へ・・

繰り返していくうちに見えてくる、箱の導線、箱の行きたい場所。
箱を運ぶ時の心地よい速度。箱があるべき場所へ吸い込まれていく時の心地よい音。
こんなふうに箱を運んだこと、今までの稽古で1度もなかった。
具体的に身体の感覚も変わっていくし、箱の手触りも、なんか、初めての感触。
突然、みんなの箱の感触が気になってきました。
できることならずっと運んでいたい、ずっとこの流れの中にいたい、とまで 思ったかどうかはさておき、ただ流れに身をまかせるこの感覚、どこかでもう知っている?

と思ったら、「列」でした。

今日、稽古の最後にK氏が黒板に書いた4文字。

“臨機応変”

ある状況、ある場に合わせて身体が変わっていくということ。
変わるということは、どこか別の世界へ行ってしまって戻ってこれなくなるということではなく、 きっと、いろんな方向にいろんなかたちに伸びたり緩んだりするってことなのかも。

なんだか魔法みたいだなあ。

と、呑気なことを考えていたら、

「おまえ、もうコンビニで働けるんじゃないか?」とK氏。

・・・使ってもらえるかなあ。

4月30日(水) 真篠剛

今日は列という時間に「順番」という仕掛けが仕掛けられました。
「順番」とは文字通り列からぬけていく時間の中で、誰から行くかということを
あらかじめ決めてみることです。

順番をきめないでアバウトな時間でやっているときって、はからずしも
スゴイ時間、シーンがたまたま生まれてしまってることがあったりします。
その感覚ってすごく大事な感覚なんですが、
たまたま生まれてしまった時間、シーンを、少し離れた視点で、どう把握し、見つめ直すための
「順番」という仕掛けなのかな、と。
あらかじめ出来上がってしまっている世界(順番)にどう入っていくかという、入り方、脱し方の選択。
いろいろな選択肢があるんだと思います。

もうひとつ「壁」のシーンについて。
私事ですが、私、もうずいぶん昔なのですが、解体屋のアルバイトをしていました。
解体とは文字通り、つぶれてしまったお店なり、会社を壊す仕事です。

私自身、解体屋の親方に雇われ給料をもらっているわけで、サクサク段取りよくお店、会社を 壊さなくてはいけません。必死に壊していくんです。

でも、ふと後ろを振り返ると、そのお店の社長や従業員が私の壊している壁や机を見ているではありませんか!!

きっと、様々な記憶や思い出が詰まっているであろう(実際私にはその人たちの記憶はわからないのですが)壁や机を 壊していることに対する申し訳ない感覚、残酷な感覚。
社長、従業員のみなさん、「ごめんなさい」と思います。
でも、解体屋の親方のもとでサクサクと動かなくてはいけない自分のリアルな身体。
とても悲しい感覚と、実際にサクサクと壊してしまっている身体のあいだで悩んだり考える「間」の感じを 今日「壁」で思い出しました。

「壁」とは恐らくその間で両方の時間を考えることだと思ったのですが、皆さんどうでしょうか?

4月29日(火) 鈴木平人

今日はまず、縄を使ってアップをしました。

縄でできた直径2mくらいの円が登場。
そこに4人くらいで向き合って入って、それぞれが縄に腰で体重をかけて引っ張る。
そしたら、縄のテンションを利用して、向かいの人とタイミングを合わせて対角線上に飛ぶ。
基本的には縄に身を任せる。
でも他の人とぶつからない様に気を使います。
基本的には縄に身を任せるからそこに自己はありません。
縄の延長としての身体。
でも他人とすれ違うときにもそのままだとぶつかってしまう。
そこで、他人とぶつからないために、「ちょっと右にずれよう」とか、自分の意思がでてくる。
他人と一緒にいるためだけに自己が現れます。
でもそれは、かなり神経を集中しないとできません。
そして、縄のテンション自体も他人との関係がないと出せません。この縄の感覚は、残像がしばらく自分の体に残っていました。

今日やったのは、主に道のシーンと穴のシーン。このふたつのシーンに共通するのは、働くことと演技することを交互に行うこと。

それは、フィクションとノンフィクションの間を舞台上で行ったり来たりすること。
その行ったり来たりの中で、イメージの生まれる瞬間を捉えることが出来たら面白そう。そのイメージはお客さんとの関わりの中でしか生まれません。

更に、そのイメージの強度、演劇としてのリアリティは、共演者との関わりの中でしか確保できません。
共演者と間合いを測ることが、演劇としてのリアリティに繋がる。同時に、共演者とイメージを交換しあう(会話をする)ことで、イメージがイメージのまま(固定化されずに)大きくうねり始める。

今日の列では、自分の皮膚感覚が拡がる感じがありました。

距離的に離れていても、皮膚感覚で共演者を感じる。うろ覚えですが、演出に進められて読んだ野口三千三が、皮膚は第二の脳、みたいなことを本の中で言っていたのを思い出しました。
これが演出の話す群れの感覚なのかな?群れとしての皮膚、みたいな。
その群れの感覚のためには、意識を集中して強烈に「個」でないといけない。

風景と人間の存在が同時に立ち上がる瞬間。群れと個が同時に立ち上がる瞬間。
その時の皮膚感覚を突き詰めていけたら、面白くなりそうです。

2008年4月28日(月) 齋藤彩華

私事ですが、今日の「列」の稽古でハッとしたことがありました。
K氏より「あやか脱しなさい」と声をかけられたとき、ふと、列を列として見せようとしていた自分に気づきました。
そしてその列から脱しようとしても、脱するってなんだっけ?と、脱することが何なのか
わからない瞬間がありました。
それは毎日の列の稽古でその空間にいることに疑問も違和感も持たなくなって、その空間に自分がいることが当たり前の様な気分になったしまっていたからなのかもしれません。

気づいて回りを見渡すと、周りと自分と時を見て脱入を繰り返すみんな。
私は、同じ空間で同じことをしているつもりになってしまっていました。
同じことをしている人なんて一人もいません。
列も列を見せたくて列になっているんじゃありません。
これまでの稽古で一度は気づいたはずなのに、なぜか忘れてしまっていたことがとっても悔しかったです。

こんなことで躓いてる場合じゃないですな。

「道」は、みんなと物理的に体が離れます。
これはおっきな変化。
箱の上に乗っていることで他のみんなとの距離が生まれてくる。
列では右に左に前に後ろにみんなの体温を感じていたのに、そこから引き離されると世界で一人になってしまったような錯覚に・・・
これが落とし穴ですね、真篠さん。

4月25日(金) 打田智春

衣装あわせ!
みんな鏡にくぎづけで、演出家に見せることも忘れて、あーだこーだと言っていた。
これをナルシストって言うんだよ!と演出家が。確かに。

今日はじめて衣装の靴を履いて歩いた。これまで裸足だったので、靴を履くと足が重くて仕方がない。

箱の道…笑いで会話する。
はじめは2人で笑って話す。
言葉を使わなくても、なんとなく関係がとれてる気がする。
だんだん人数が増えていき全員でやる。
自然に箱を動かしだし、近寄ったり離れたり。
笑いの会話、動きの中で、受けて相手に返すということ、自分の意図を示して受けてもらうこと…

稽古でやっていることは、列も道も穴も視覚的な動きは違うけど、意識というか感覚というか、そういうのは同じなのではないかと、思えてきた気がした。

しかし…スタミナ不足。
長く笑ってると声が出なくなってくる。
腹筋もわけがわからなくなってきて…
そういう時って人は集まりたくなるものなのか…見られてる意識がなくなり最後は固まって笑いあった!
これぞ内輪なんだろうなぁ。やばい!

2008年4月23日(水) 茂木夏子

昨日の真篠さんの稽古場日誌、突然、固有名詞が出てきて、ドキッとしました。
身体が匿名性をおびるからこそ、「誰」が気になる今日この頃。

気付けば公演まであと1ヶ月。今週からいよいよシーンの稽古に突入!!!
したと思ったら、今日はあれよあれよ、いきなり作品の半分くらい、通しちゃいました。

あれれ??
真剣に箱と向き合っていると時間もあっという間。
知らないうちに筋肉痛。今日は全員、足の裏が腫れたり剥けたり・・・

以前、K氏は言いました。

――「GAME」を日本語で書くと、「試合」。
“しあい”ではなく、“ためしあい”と読んでみたら?

シーンの稽古は、“ためしあい”。
私がこう出たら相手はどう出るの? 相手がこう来たら私はどう出るの?
箱が「壁」になったり「道」になったり「穴」になったりしたら???

シーンの稽古って、結構忙しいですね。
相手の出方が気になる瞬間、列に対して向き合う瞬間、自分のことしか考えられない瞬間。

そして今日、K氏は言いました。

――共演者に意図が伝わらないことは、観客にも伝わらない。

今、この場にいる、ということ。
出演者であろうがなかろうが、この場にいる、それだけでもう“彼ら”。

“彼ら”感覚、とても気になります。
三人称複数で語ることによって間に生まれるもの。
共犯者的にフィクションを開発していく感覚が、今、稽古場で起こっているような気がします。

 

2008年4月22日(火) 真篠剛

本番までちょうど1ヶ月。

今日も体操後、列からはじまる。

先週は「Ceremony]組の金丸・結縄両氏の参戦あり、
ついには「Remainns」組の柿ノ木氏の参戦もあり、列がとても賑やかだった。

うって変わって、今日は本番を迎えるメンバーとお互いに、列についてもう一度考える時間だな、と思いつつ列。

!!!先週までとは明らかに各々の印象が違っているではないか!!!
具体的には、隣を歩いている鈴木平人という固有名詞から固有名詞が消えて、身長〜cm、体重〜kgの「彼」が隣にいる。
「彼」の列に入ってみる。ふと気づくと「彼女」が自分の後ろについているではないか!
そのうち「彼ら」の列に入り、そこから脱出する。
壁に向かって歩きだす「彼女/彼」、列になっている「彼ら/彼女ら」、そして壁の前を歩く「彼/彼女/彼ら/彼女ら」・・・・・。

今回の「箱」のチラシ裏に書かれた文章に登場する「彼ら」が今日初めて登場した感じのなかなかいいで列でした。

そこから今日は「一人の道」を作って歩いた。
一人の時間、箱の向かってゆく方向。きしむ箱たち。
その世界の中で立ち止まってみる。受動する身体。

稽古後、どこからか声が聞こえてきた。

打田「なんかぁ〜、一人の道ってぇ〜、気をつけないとぉ〜、自分に酔っちゃいますよねぇぇぇ。」

平人「一人の道って、けっこうドラマティックになっちゃいますよねぇ。」

人間、自分に酔うこと、一人になることって、とても気持ちよかったりする。ドラマティックにしてしまいたい衝動が生まれてくる。
そんなこと当たり前です。だって、そのことって気持ちいいし楽だったりするもん!

そのことを踏まえた上で打田、平人の発言は、どうやって酔ってしまう時間と対峙するのか、どういう意味で二人とも「一人の道」にどう関わるのか、そして自分をどう批評していくのか?ということを結構、クリアで明晰にとらえているなぁ、と感心しながら聞いていたのですが、そこんとこ、どうでしょうか?「彼/彼女」。

2008年4月18日(金) 斉藤彩華

最近の稽古には歴代出演者の方たちがよく参加してくれます。
そのたびに稽古場に新鮮な空気が流れて新しい発見があったりします。

今日の稽古はいろんなシーンをやってみました。
「門」「道」「穴」「階段」

箱に乗ったり、積み重ねたりして行くのですが、
20個の箱でいろいろな風景ができるのはわくわくします。
大きな積み木で遊んでる感覚になって「こんなことはできるかな?」とか「こうしたらどうだろう?」と研究が始まります。
一人がそれを始めるとそれに加わる人がいたり、真似してみる人がいたり、いろんな表情が出てきました。

まだ自分の中でシーンに対する解釈はできてないんですが、これから徐々に発見して行こうと思います。
これからの稽古が楽しみです。

 

2008年4月17日(木) 打田智春

今日は発見というか刺激になったことが2つ。

1つ目は…
人の後ろにつき、前の人のしっぽになったように歩く。
前になるのは真篠さん・なつこさん、稽古に参加しにきた金丸さん・結縄さん。
このうち3人、私はなつこさん・金丸さん・結縄さんのしっぽになった。あっ真篠さんとやらなかったのはわざとじゃなくて、自然の流れで…(笑)

その人の感覚を自分に侵入させる。前の人が見てるものを見る。
それぞれ3人とも列の脱入の感覚が違い、その違いの幅に驚いた。
強い攻撃的な気持ちになったり、緩急があり動きがよめなかったり、溶け込む感じで心地よかったりと、自分にはない脱入を体験でき、その後にやった列の稽古にかなり影響された。
しっぽになってついて歩くのは、自分の動きとは全然違うから、筋肉がパンパンになったけれど…それぞれの脱入を盗んで、自分の今固定されつつある脱入を変えれたら、また新しいものが見えたり生まれたりするかもと思った。

2つ目は…
壁のシーンの稽古。
今日は9人いたので、ふたつに別れてやる。
稽古場の電気を消し、みている人たちが懐中電灯で明かりをつくる。
やる側としてはまず暗くて怖かった。人の気配や陰にぶつかるんじゃないかとびくつく。
余計なことを考えず神経を研ぎ澄まさないと列の脱入なんてできないと思った。これまで以上に集中力がました。

みる側、 箱でできた壁が崩れる。
存在感があった壁が崩れはじめるととても脆かった。
全ての箱がなくなり壁がなくなると、確かにあったはずの壁が本当にあったのだろうかと思わせた。

今日感じたこの感覚を忘れないように…

あと、懐中電灯は人を夢中にさせる。あっ私だけかもだけど…稽古中に夢中になってしまったことを深く反省…

 

2008年4月16日(水) 永武有希子

今日の稽古では、いつもとは違った音楽をかけてのフリーウォークをしました。
いつもと違う音楽で歩き続けるということは、いつもと違う感覚になるはず。

なのに私はいつもと変わらないのはなぜだろう。

稽古後の雑談で、K氏が黒板に
運動
感覚
感情
思考
という言葉を書きました。

そして一言
「運動(型)にとらわれていると感覚はおこらない」

型にとらわれている自分に早く気がつかないといけないと思います。
それは、待っているだけではダメなんだと。
頑張ります。

2008年4月15日(火) 茂木夏子

―― 今日は新鮮な組み合わせで体操をしましょう。

一緒に組むAさんの昨日のウォークがかっこよかったことが気になって、
昨日のAさんに何が起こったのか、Aさんから体操を教えてもらう。

「驚くべきことに、頭の動きと骨盤の動きは連動しています!!」

「なんと! わー、ほんとだー!!!」

その後、体操時の新鮮ペアを基本に、2つのエチュードをやりました。
  @足音での対話
  A相手(または自分)の名前のみの発語での対話
相手に同調する、あるいはそこから抜けることを引き出す足音。
呼びかける、突き刺す、通り抜ける、包み込む声。

―― これが、列(脱/入)の基本です。

列に溶ける時間。そこから抜ける時間。
ふわっと浮かび上がって、ふっと消えていく、一瞬一瞬の風景。

それにしても、ベースは足音と声なんだなあ。
私がストアハウスカンパニーの列の中に入ったばかりの頃は、
相手に呼びかけるような声なんて、まったく出せなかった。

迷子の私を引き取りに来てくれる人がいれば、
「ありがとう」

私を拾おうと向かってきてくれる人がいるのにうまくタイミングが合わず、
「ごめんなさい」

ほんと、「ありがとう」と「ごめんなさい」しか言っていなかったような・・
まあ、今もそんなに変わっていませんが。

箱メンバー7人の足音と声を感じながら何度も列を返す。
タイミングが合っても合わなくても、失敗してもすれ違っても、
いつだって一度きりの出会いです。

 

2008年4月14日(月) 真篠剛

今日のお題は

<列=コミュニティー・共同体=国家=民族=宗教> 

今日は列。ひたすら列をやりました。
果たして7人の列からこのような大きなイメージを語れるのだろうか。

1人の時間から相手を見つけ2人の列世界、そして3、4、、、7、、、列が浮かび上がる。
誰かが誰かの後を追うと列は円になる。

僕の列に入っていく感じは、列世界の住人になるという感じかもしれません。
誰かの後を追っていくと、その人の歩くテンポ、方向、質感、にだんだん自分のからだが入っていく(合わせていく)感じがします。
そのことは心地よい時もあれば、逆に、とてつもなく不快な時間でもあり、経験したことのない未知(恐怖)の時間かもしれません。

人に合わせるということはとても体力が必要です。なぜなら、自分のペースはあくまで自分のペースであって、人に合わせるには
自分のペースを変えなくてはなりません。変えるには体力(筋力)が必要です。
自分をよりよく(強く?かっこよく?)見せるための体力(筋力)ではなく他人の世界に入るための体力(筋力)です。

他人の列に入ってみると、行き先は、まずその列に従うしかない。
その列が正しい方向に向かおうが、間違った方向に向かおうが、まず従うしかない。列に入ってしまった以上は。列世界の住人なのですから。
列に入ると列の中で列の住人は、だんだん列の現状を把握してくる。息苦しかったり、何か改善したかったり、現状維持が心地よかったり。
同時にこの列がいったいどこに向かっているのかという不安もわいてくる。リーダー不在の路頭に迷った列もあるし、 一心不乱に猪突猛進の列もある。
意を決して列から脱する。脱したくても脱せないときもある。我慢の時間もある。
脱したつもりでも列に吸収されてしまうときもある。脱したつもりの自分がさらに大きく凶暴な列をつくってしまうこともある。
様々な言葉がわき上がってきた。

列を「家族」に置き換えることもできるし、もう少し大きくして「日本」にも置き換えられるし、 もっと大きく「世界」に置き換えることもできる。

観客にとって、7人の列が様々なイメージに変容していけたら、きっとその列は
今日のお題である
<列=コミュニティー・共同体=国家=民族=宗教>
に繋がるんじゃないだろうか。

2008年4月10日(木) 鈴木平人

今日は転がる。
まず、立った状態から、ケガしない転がり方を教わる。体を捻っていく感じでやるといいらしい。全員でひたすら転がる。転がって立つ。立ってはまた転がる。
演出家は「自分の身体が足のほうから液体になっていく感じで」「大きな布が拡がってまた丸まるイメージ」とのコメント。
頭がぐるぐるすると意識も曖昧になってくる。

やがて、その中で他者を意識し始める。タイミングを会わせたり、ずらしたり。少し歩いてまた転がる。
列よりも、脱入がハッキリしていて捉えやすいかも。このタイミングで転がったらどう見えるか?
見え方を考えながらやると、転がる時も、転がらずに歩く時も緊張感があって面白い。

観客として、その動きを見たい欲求に駆られるんですが(いつもだけど)、そこで想像力を働かせろというK氏の思惑なのでしょうか。

2008年4月9日(水) 齋藤彩華

夢の実現

今日の「死体のエチュード」は強烈でした。

名前は強烈で、内容はかなりヘビーでした。

このエチュードは全員でやったんですが、死体とそれを運ぶ人の役目があってその2役をそれぞれ自由に切り替えていくものです。
倒れて微動だにしない仲間を運んで、
微動だにしない自分が運ばれて・・・
もうクタクタになりました。
運ぶときは、どこに運ぶか、どんな風に運ぶか常に回りに目を配り、
運ばれるときには、相手の負担をなるべく軽くする為に体に力を入れたり、
常に周りに気を配りながら死体と運搬者の脱入を繰り返していきます。

それにしても人を運ぶってことはこんなにも難しいのか。
相手ももちろん運ばれやすいように工夫はしてくれているけど、相手の体重が全身にかかるとかなり自由ではなくなります。
ほとんど自分の思うようには運べなかったかも。

このエチュードが終わった後、演出家のK氏は「夢の実現」について語りました。
この夢ってゆうのは演劇だとかダンスだとか見せる側が表現したいもののことなんですが、それを実現させる為に必要な力をつけなくてはい。今日で言えば人の体重を支える筋力、バランス感覚。

自分にはまだまだ足りないものがいっぱいあるなと思いました。
料理を作るときも、材料がなきゃ作れませんもんね。
この間私は体操の時に筋トレをやって私は半べそかいてしまいました。
すっごく恥ずかしいです。もっとしっかりします。


2008年4月8日(火) 打田智春

まず稽古前の雑談…
メールアドレスを教えるために送ったメールが違う人に送られていて、しかもその間違えた人と普通に2回くらいやりとりをしてたっていう、怖くもありおもしろいエピソードで盛り上がった!送っちゃったのは、Aちゃん。稽古場で間違ったことに気付いて『え〜!』と大慌てしてた(笑)

体操…
いつも通りスイング体操に加えて、今日は掌に灰皿をのせて体の前に差し出し、ぐるっと体の横・後ろを通って1周させる。
灰皿には水が入れてあって、こぼさないように元の位置までもどすのだけど、ばしゃばしゃこぼれて、まぁ床もきれいになって一石二鳥の動きっていうオチがあったけど…
なかなか自分を中心に回すとダメで、そこでお言葉が…『自分ではなく灰皿に主体性を…』(言葉間違ってるかも)。考え方をかえる、そうかぁって感じでした。Hくんめちゃきれいだった。灰皿に引っ張られてるみたいだった。

で、今日はピアニストの伊澤さんが来て、即興でピアノを引いてくれて、それで歩きました。
やっぱり生音はいい!音楽に歩きを合わせるのではなくて、音が歩きに合わさってくる感じ。
あと、稽古に参加しにきたKさんは、これまでにはない空気を醸し出していました。
今日もだけど、毎日思ってもみなかった事が起こるから、やっぱ稽古場って不思議。

 

2008年4月7日(月) 永武有希子

新鮮――フレッシュ――な感覚

すごく大事だと、身にしみます。
体操でも列でもエチュードでも、一度「これか!」と思ってしまうと、それが正解であるように思い込んでしまいがち。
かく言う私はまさにその思い込みをしてました。
でもそれは、観ている側にとっては面白くないし、何よりも自分も楽しくない。
そもそも正解なんてないし、正解って何さ!?
ストアハウスカンパニーに入ろうと思うきっかけになったワークショップでは、「正解」ということなんて考えたこともなかったです。
生まれてから26年、いかに自分が「正解」という枠の中で生きてきたのか、そしてそれを受け入れてきたか。面白いです。だって当たり前だったんですもん(苦笑)

今日の稽古では、いろんな人と2人組になって相手と重さをかけ合うというエチュードをしたのですが、それはただ相手に寄りかかるのではなく、相手と対話すること。

たしかに対話に正解なんてないですよね。

 

2008年4月4日(金) 茂木夏子

自分以外の誰かの後ろについて歩いていたら、いつのまにか列になっている。
浮き上がる全体・・・。 そこからどう脱けて、どう戻るのか。
そんなエチュードを、今日は箱で作った「壁」の内側でやってみました。

箱で作った「壁」の高さは120cm。
「壁」の外側からは、きっと、内側の人の頭しか見えません。
体が消された頭たちの列。頭たちの速度、それが列。

列から脱けて「壁」の外側を見つめる個。
「壁」の外側からは、列と個のどちらが前景として浮かんで見えるのでしょうか?
そう思うと、列も、瞬間瞬間の駆け引きです。

ところで、私にとって列から脱けている時間は、列の中にいる時よりもむしろずっと、
列を感じる時間でした。今どんな列が起こっているのか、目線は「壁」の外側なのに、
「壁」の内側に思いっきり聞き耳をたてていて、「壁」の内側と外側の中間にいるような、
不思議な感じがしたのです。

 

2008年4月3日(木) 真篠剛

今日は「道」を運ぶ、という稽古。
「道」とは箱であり、「道」の上の人間が自ら「道」を動かしてゆくというもの。
最初は、一人から始まり(箱の数は2個)だんだん箱とともに人も増え、最終的には
20個の箱の「道」の上で7人が箱のバケツリレーをする。
「道」の最後尾から箱が前へ前へ送られ先頭の箱は様々な方向に動き続ける。

キーワードは「労働」。

前の人に箱を渡してあげるだけなのだが、これがなかなか大変だ。
箱は意外に重いし、幅30センチの細い「道」のうえを歩くだけでも、
落ちにないように神経を使う。
相手に箱を渡すときにも、渡す側と受け取る側のタイミングがうまく合わないと
箱を落としてしまうし、相手に怪我をさせてしまう。
体力同様、細心の注意が必要になる。
約10分経過。汗がどっと吹き出てきた。

かなり長い時間運び続けるには、さすがに体力と精神力だけでは体がもたない。
そこで、いかに効率よく箱を運ぶか考える。
実際の労働現場でも効率は大事だ。どんなに人手があっても段取りが悪いとただただ体力を消耗するだけで
なかなか仕事は片付かない。逆に、段取りがよければ人手が少なくても仕事は進む。

効率よく箱を運ぶには最短距離で無駄なく人間も、箱も、動くことが大事で、
7人で運ぶとなると7人全体のペース配分、ひとりひとりの距離も大切になってくる。
遠すぎると渡すのに時間がかかるし、近すぎても渡しずらい。

しかし、さすがに長時間運んでいると自然とリズムが生まれてくる。箱も人間もスムーズに流れてくると
体も気持ちも乗ってくる。「道」もだんだんうごめきだす。

調子がでてきたな、と気を緩めた瞬間!!箱から落ちました。
まだまだ職人への道は遠いです。

 

2008年4月2日(水) 春百合子

今日のお題 ‘体操とは自己のなかにある他者を発見することである’

今回初参加の春百合子です。どうぞよろしくお願いいたします。

体操をしていると、自分の体が自分のものではないような不思議な、少し気味悪い(もしくは気持ちいい?)感じにとらわれることがある、という発言がある女優さんから。
早速、上の今日のお題が演出家によって黒板に書かれました。

みなで体操をしていると、演出家k氏いつものように乱入。なんと水の入ったポリバケツを手に。それを片手で持って、皆でブンブン振り回してみる。

そのあと ‘腕のない’ボクシング。 殴られた側のリアクションが面白い。約束事。信じるということ。

WALKINGのあと、記念写真のエクササイズ。その写真のなかで、彼女はすこしだけ微笑んでいる。さて、彼女はなぜ微笑んでいるのだろう???

そのあと、たて波のエクササイズ。今日は盛りだくさん。
第四の壁。そこを超えて視線を運ぶ。

稽古のあと、演出家と愛犬コタロー君抜きで、役者だけで雑談。時間と体の話になる。
5分前のからだ、15分前のからだ、そして100年前の体?

今回初参加だが、だんだん皆さんと一緒に作業をするのに慣れてきたのがうれしい。
お風呂にはいりながら、面の皮と、足の裏の皮が日々厚くなっていくのを実感する。(稽古は裸足です。)
面白い作品になるように、明日も楽しくがんばろう。

 

2008年4月1日(火) 鈴木平人

4月に入って今日から稽古は6時スタート。
まずは、いつもの様に1時間程の体操。全身をスイングした(させた?)後に、今日は転がり方を探る(前回の公演では30分転がり続けるシーンもあった)。床に寝転がるのは気持ちがいい。

1番と4番のウォークをやったあとに、オーディションメンバーは初体験の2番と3番のウォークをやる(変な歩き方が4種類ある)。2番。比較的やりやすい。体が動くと想像が膨らむ。結構遊べた気がする。早く1番でも遊べるようになりたい(僕だけ1番ができない)。あと、2番と3番をやると逆に1番と4番の感覚が新鮮に感じられた(1番と2番、3番と4番はそれぞれ対応している)。

そのまま列(歩きながら、並んだりバラけたりするする)になだれ込む。前の稽古の時、かなり意識的にやっていた切り替えを、今日はかなり身体に任せられているんじゃないか?とか思っていると、演出家はおもむろに箱を持ち出して門を作る。すごい存在感。どうやら、みんなそれに引き摺られてしまったようだ。箱は箱なんだけど、例えば、箱をものではなく風景として捉えられるか?その上で風景の変化をどう受け入れるのか、または受け流すのか。
もしくは、箱でできた門をどう捉えるか?今日の列の時に流してた曲は、第三次世界対戦のテーマらしい。確かにそう聞くと、箱が重なっただけの門が、瓦礫の中に残って立っている門、みたいに見えてくるから不思議。そしたら今度は、そんな大袈裟な情景の中の門ではなく、もっと普通の日常的な門に対する反応を演じられるか(具体的でも抽象的でも)?それもちょっとやってみたい。駅の改札の感覚を意識できるのか?

なんか、今日は色々ありすぎてまとまりません。でも何よりも今日は、稽古が終わり、人と会話することで日常(の身体?)に帰って行く感触が気持ち良かった。これが毎回味わえたらいいな。

 

 

                                    08年3月

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2008年3月31日(月) 齋藤彩華

齋藤彩華です。
今日は、私たちの稽古場に新しい仲間達が加わりました。
この作品の主役、20個の『箱』です。
出来たてで、ザラザラで木のにおいがプンプンして、新人です。
これから約2ヶ月間お世話になります。

とりあえずみんなで乗ってみました。

なんかグラグラ・・・

グラグラするのはまずいのでちょっと修正することになります。

それはそれとして、

今日は20個の箱たちを階段状に積み上げて上から跳んでみました。
てっぺんは、箱4個分の高さ120センチ+私の身長156センチからの眺めは格別です。
誰よりも高い所から一気に下へ↓↓↓↓↓

ゾクゾクです。

子供の頃に戻ったみたいです。いろんな飛び方で遊びました。
箱との初共演はほんの少しの時間でしたが、みんなそれぞれ新人との出会いを楽しんだんじゃないかと思います。

箱と遊んだ後は、10年前の『箱』初演をダイジェストで見ました。
もっといいものにしてやろうと気合が入りました。

課題は基本の体力作り!
箱とどう付き合っていくか。
いっぱいです。
がんばります。

 

2008年3月28日(金) 打田智春

今日はいっぱい歩いた。
歩いているだけなのだけど、その間、いろんな感情がいつの間にか生まれていた。
自然に列になったり歩調の息があったり…気持ちよかったり、せつなかったり、逃げたかったり…
列や集団から【脱・入】する。ただこれだけの動作だけど、自分に嘘をつかず歩く。おもしろかった。
稽古中はあまり足の疲れを感じてなかったけれど、でも電車に乗るとけっこうどぉ〜っときた。
もっと体力と筋力をつけないと…ひしひしと感じる今日この頃でした。

 

2008年3月26日(水) 永武有希子

タイトル【真篠さんとコップ】
今日の稽古は、1時間ほど体操をしたあと、1番と4番のウォークを。
次回作「箱」のメンバーが決まり、パフォーマー7人でのウォークは、毎回面白い発見があります。
今日は特にそれぞれの特性があらわになった稽古で、そのきっかけとなったのは、コップを頭にのせたままで4番をするというもの。
「私が私を運ぶ」
頭ではわかっていてもなかなかできないのですが、それは頭で考えているから。
コップを頭にのせる→上体がぶれればコップは落ちる→コップを落とさないということしか考えられない、 頭で考えてる余裕はないのです。
きっかけはちょっとしたこと。
例えば稽古後、頭にコップをのせたまま会話をする真篠さんが、すごく素敵でスマートに見えたりするのです。
ぜひお試しあれ。

 

2008年3月24日(月) 茂木夏子

本日の稽古場日誌を担当いたします茂木夏子と申します。
ストアハウスカンパニーの芝居は、最近の作品では台詞がありませんが、 本日は「声」を使ったエチュードです!

★虎が通ったゲーム

A「あなたの家の前を虎が通りましたか?」
B「○○○。」
A「○○○と言って虎が通りましたか?」
B「×××。」
A「×××と言って虎が通りましたか?」
  ・
  ・
  ・
問いかけに対しB役が任意の言葉を言い、 A役がその言葉を返すことで対話を続けていく。

このエチュード、なかなか手強いです。
言う言葉がないからと黙ってしまうと終わってしまいます。
大体、文脈として成立しないものを力業でつないでいるので (だってそもそも家の前を虎が通るってどこの国ですか?)、 感情を込めて台詞を言ってしまうと対話にならず、場が動きませ ん・・
どうすればこの状況で対話ができるのでしょうか?

演出の木村さんがささやきます。

−−「声」はただの音声。「声」は物質。

ああ、そうか。言葉の内容や内面的な感情ではなく、 日々メンバーでやっている体の重さを使った体操、 足をどさっと落としたり腕をぽーんと放ったりするのと同じよう に、
ただ「声」をどさっと落としたりぽーんと放ってみたりしたら、 あの場はどうなっていたのだろう?

と、稽古が終わった後にいろいろ想像しました。


2008年3月21日(金) 真篠剛

真篠剛です。
本日より「箱2008」の稽古場日誌スタートです。

今日の稽古は、顔合わせならぬ「頭あわせ」エチュードをやりました。
「頭あわせ」って???という方のために説明しますと、
2人1組で互いの頭をくっつけて、その頭を接点にして重さを掛け合うエチュードです。
お互い「頭」という限られたポイントの中で、重さを掛け合いながら、押しつ、押されつつの駆け引きをします。
慣れてきたらポイントを頭から背中、肩、腰、手のひら・・・・・・など変えていきます。また人数も2人から3人、4人・・・・・・
といろいろなパターンでやります。

当然ながら、頭をくっつけて動くなんてことは日常生活の中ではめったにありません。緊張します。
今日はいろいろな組み合わせでやりましたが、相手役によって同じ頭を接点にした重さの掛け合いでも それぞれ全く違った感触でした。ピタッと来る感じ、遠慮しあった感じ、少々強引な感じ・・・・・・
相手役によって様々な物語が生まれました。

ちなみに、このエチュードは、去年ロシア公演のワークショップでやったときも、人種は違えど様々な物語が生まれ非常に面白かったです。

よく、芝居の現場で「顔合わせ」は行われますが、挨拶、お互いの自己紹介、プロフィールだけではなかなかその人がどんな人かはわかったつもりでも、
実際よくわかりません。
でも「頭あわせ」ってけっこうその人がどんなことを考えていて、どんな性格かが手に取るようにわかります。
そんな意味で今日は「箱2008」のメンバーと初めて「顔合わせ」ができました。
「箱2008」なかなかクセ者揃いで面白くなりそうです!!