作・演出  木村真悟

出演

竹内修/武藤光司/林崎知恵/真篠剛
井原美智子/村山奈月/中原ゆかり

1999.05
WANDERERS
韓国・華城

出演

竹内修/武藤光司/林崎千恵/真篠剛
伊勢千佳/佐久間繁樹/星野和香子

出演

竹内修/武藤光司/林崎千恵/真篠剛
伊勢千佳/佐久間繁樹/星野和香子

出演

竹内修/武藤光司/林崎千恵/真篠剛
伊勢千佳/佐久間繁樹/星野和香子

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撮影:宮内勝

 



風景からの脱出


舞台の上に生み出されるさまざまな風景


 どこからか現れる俳優たち。彼らは旅人として登場する。舞台には木で作られたたくさんの箱。彼らによって動かされ、蠢き、ざわめき、形を変えるたくさんの木箱。
 旅人を演じる彼らにとって、その風景は「旅の風景」そのものだ。
 しかし、彼らは彼らが作り出した風景が偽物である事を知っている。
 彼らは箱を動かす。
 彼らは箱を動かしつづける。
 動かすごとに生まれる新たな風景。
 やがて彼らは、彼らが作り出した「旅の風景」の中に閉じ込められている自分自身に気づく。

風景との対話

 いつしか彼らは、自分自身が生み出した風景と対話を始める。
 舞台には、彼らが生み出し、作り上げた風景の他には何もない。
 彼らは対話を続ける。
 彼らはお互いにほとんど言葉を交わすことはない。また声を発することもない。
 なぜなら、お互いに言葉を交わし声を出した瞬間に、彼ら自身が風景の一部になってしまう恐れがあるからだ。
 風景の中に閉じ込められた旅人は、風景の中に溶けてしまうことを拒否するために、言葉を失い、声を失った存在として舞台の上に立ち続ける。
 風景が偽物なのだろうか。それとも偽物は旅人を演じる彼らなのだろうか。

繰り返される脱出

 やがて、彼らは舞台から、つまり俳優を旅人たらしめている物語世界からの脱出を試みる。
 例えば、彼らは風景を壊そうとする。
 壊すたびに生まれる新たなイメージ、新しい風景。
 彼らは幾度も脱出を繰り返す。
 壊しつつ生まれる新たな風景の数々。
 幻影の数々。
 ほとんど不毛ともいえる、彼らによって繰り返される「脱出」という行為の数々。

現実はどこにあるのか

 しかし、彼らが生み出した風景が幻影に過ぎない以上、彼らはやはり脱出を繰り返す。
 リアルな、生々しい現実を取り戻すために、彼らは自らが生み出した風景を、幻影を、彼ら自身による絶え間ない対話の果てに切り裂く。
 その瞬間を、現実を生きる私たちにとってのリアルな現実として、俳優自身が感じるために。

ストアハウスカンパニー主宰 木村真悟


韓国で考えたこと
(1999.11パンフレットより)

 あたり前のようだが、普段私たちは日本語でものを考えている。
そして、たいていの場合、演劇作品を作る場合も、日本語で書かれたテキストを基に、俳優は空間を構成する。
つまり舞台上の俳優の身体は日本語によって作られたものだと言っていい。
しかしほとんどの場合、私たちはそのことに無自覚だ。
昨年(1998)の11月に行われた「アジアミーツアジア’98」に参加して考えていたことはそのことだった。
 韓国から参加した劇団「城」や、マレーシアから参加した「單單表演工程」の俳優の身体に感じたある異質な肌触りが、これもまたあたり前のことなのだが、あたり前のことが、ごくあたり前に、日本語と韓国語の違いであり、日本語と中国語の違いであるように感じられた。そのことが僕にはとても新鮮だった。そしてそれだけではなく、自国語によって構成された身体を持って、およそ観客の反応など予想し得ない異国の地に晒された彼らの精神に、僕は感動したのだと思う。
 とにもかくにも、僕自身、日本の外へ出なければならないと、劇団「城」の代表者金聖悦氏が実行委員長を務める水原の華城国際演劇フェスティバルに、半ば強引に押しかけることとなった。
 幸運にも僕たちは時間と場所を準備してもらい、上演という形で、韓国の観客の前に立つことができた。
 そのことが結果として、僕たちに何をもたらし、何をもたらさなかったのかは今の僕にはわからない。ただ、韓国の観客の暖かくそして鋭い視線を浴びた肌の記憶とともにそのことは考えつづけなければならないのだと思う。
 日本へ帰る前の晩、金聖悦氏と明け方近くまで、身体の概念について話し合った。彼は東アジアに位置する勧告的な身振りについてかなりの時間を割いて語ってくれた。また自身の演劇活動の根拠は、‘グローバル’という思想のもとに、世界中が均一化し、平均化していきがちな潮流と闘うことであると、静かに語った。
 その話を聞きながら、僕は日本の演劇について考えていた。ほとんど身振りを失った、ただ突っ立ったまま、かろうじて日本語の台詞をしゃべっている俳優の姿を思い浮かべた。また身体を硬直させながら、何かを叫んでいる俳優の姿を思い浮かべた。今まで見たさまざまな芝居が、俳優のさまざまな立ち姿として、脳裏をよぎった。
 アルコールと、通訳を介しながらのコミュニケーションの時間に疲れた頭の中で、僕は僕自身が僕の頭の中に現れた俳優の姿と重なっていくような妙な感覚に襲われた。
 襲われながら、僕はそのことを肯定も否定もせずに、日本へ帰ろうと考えていたように思う。
 日本に向かう飛行機の中で、日本の外へ出るということは、日本のことを考えるということだったと今さらながら考えている自分自身に気がついた。
 もちろん、僕にとっての日本とは、日本語で考え、日本語で作られた作品と日本語でそれを受け取る観客の間にあるものに他ならない。

ストアハウスカンパニー代表
木村真悟